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私の蓄財告白(2) 〜 お金に働かせる前にお金を育てる

老後に○○万円が必要なんて話はよくありますが、そもそもその考え方を根底から変える必要があるのでは?と気づかせてくれたのが、尊敬する資産家の本多静六氏です。

私の財産告白

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氏の蓄財の歩みを著書を通して知ったことが、40代にして自己の蓄財意識の芽生えとなりました。

 

4分の1天引き貯金と金利

氏の著書で何度も出てくるのが、有名な蓄財手法の1つ4分の1天引き貯金です。文字通り手取り収入の4分の1を貯金するという手法で、収入をそもそも4分の3相当額しかなかったことにして生活するメソッドです。

お金系の名著であるバビロンの大富豪で蓄財の成功ルールとして勧められているのが10分の1貯金なので、それを遥かに上回る超ハードモードな貯金になります。

氏の徹底ぶりは凄まじく、収入を全部使うことにすれば家族を普通に養えるにも関わらず、家族にひもじい思いをさせてまで頑として4分の1天引き貯金を貫き通したのだそう。その徹頭徹尾な貯金の結果、なんと40歳の頃には利子が基本給を上回ることになります。

(出典) : 久喜市が公開している本多静六氏について記したPDF p.36

今の銀行金利水準からは想像もつきませんが、1900年前後の金利は、一橋大学研究所の論文「明治期における銀行の成立について ‐マクロ経済学的分析の試み(1979)」によると、民間銀行で5〜7%程度(6ヶ月定期)、郵便貯金で5%弱だったようです。

(出典) : 明治期における銀行の成立について ‐マクロ経済学的分析の試み p.69

当時の1円の価値は全然違いますが、今の水準で試算してみれば、基本給20万円で年間240万円、その約15〜20倍程度の貯金3600万円〜4800万円から生み出される5〜7%の利子が、自分の基本給20万円分を稼ぎ出すという構図になります。

これを明治時代に成し遂げたのが本多静六氏でした。始めたのが25歳の時ということですから、40歳まで15年かけて自分の分身を作ったというわけですね。

 

資産収入で生計を立てるのは自分には無縁

氏の著書から感銘を受けたのは、15年間ずっと4分の1天引き貯金を継続して、お金を生み出す木を愚直に育て続けたという点です。

満40才までの15年間は、馬鹿と笑われようが、ケチと罵られようが、一途に奮闘努力、勤倹貯蓄、もって一身一家の独立安定の基礎を築くこと。

結果、資産からの収入で生計を立てれるようになったと。

40代に突入してもなお蓄財を真剣に考えていなかった自分には、それが新鮮に思えました。

もちろん、資産から得るお金で飯を食うというライフスタイルがあることは知っていました。学生時分に「1億円あれば利子だけで飯が食える」なんてことを聞いたことがありましたし、ロバート・キヨサキ氏を始めとする不動産投資を推奨する方々も知っていました。

が、自分には全く無縁だったのです。

資産で飯を食うすごろくがあるとしたら、1マス目は「まず大きなお金を得る」だと思い込んでましたから。もう最初から自分には関係がない。事業で成功して大金を得る未来が仮にあるとしても、その時に考える、ぐらいの感覚です。

資産から得るお金で飯を食う、これは理屈として分かるのです。実際、自分が「1億円あれば〜」を聞いた高校生ぐらい1990年頃の銀行金利は非常に高く、普通預金で約2%、1年定期で約6%の頃もあったようで、

日本銀行の金融市況ページの銀行預金金利CSVデータから作成

計算すると1億円なら6%で600万円、利子所得の税金(20%)を引いても480万円、一般的な生活基盤を支えるに十分です。食っていけると言えます。

でも、じゃぁその元手の1億円は?となった時に、縁遠い話で、自分には無関係な物語になり続けてきました。宝くじで1億円当たったら○○しようと同レベルな妄想話。

そんな「資産収入で生計を立てるなんて自分には関係ない」という凝り固まった思考を、本多静六氏の成功譚は解きほぐしてくれたのです。最初は資産がなくても良いのだと。私も最初は少なかったのだぞ、コツコツ始めなさいと。

そういうことなら、自分ごととして考えられるし実践できると感じました。

 

お金のなる木を育てるという感覚

同書には、氏が25歳から始めた4分の1天引き貯金の具体的な金額が記されています。

容赦なくその4分の1を天引きして貯金してしまう。そうしてその余りの4分の3で一層苦しい生活を覚悟の上で押し通すことである。〜(中略)〜 それを私は実行したのである。すなわち1ヶ月58円の月給袋からいきなり4分の1の14円50銭なりを引き抜いて貯金してしまう。そうして、その残りの43円50銭で一家9人の生活を続けることにしたのである

本多静六氏も、最初の月はたった14円50銭だったわけです。今の価格にすると10万円ぐらいでしょうか。(明治から大正で1円の価値は今の1万円から4000円ぐらいまで落ちたとされる。参考1, 参考2, 参考3)

額の多少は分かりませんが、大事なことは、大資本家も最初の一歩は将来手にするお金に比べれば米粒のような額から蓄財を始めたということです。資産収入を得るために。今100を得てる人も最初は1、いや0.1だったかも知れないわけです。当たり前のことですけど。

お金のなる木を愚直に育てていってたのだなぁ...

これが本多静六氏の著書から得た気づきでした。

氏が最初に受け取った利子は今の水準で言えば年間500円だったかも知れません。それが年1万円となり、10万円、50万円と膨らんで、15年かけて年240万円になった...

お金に働かせるとはよく言ったものです。

人間を真っ当に働かせるのに、小中高大の学業の後に就職と、長い長い育てるプロセスが必ずあります。育てるをすっ飛ばしていきなり働かせるのは困難です。それと同じく、お金に働いて貰うにもまず育てるプロセスが必要なのだなと。

この理解を得た時、蓄財の意味が腹落ちして理解でき、自分の中に現実的な蓄財の意識が芽生えたように思います。

 

そういうわけで僕は今、老後まで○○万円を貯めようという考え方はしていません。

期待する利回り率を定め、月に○○万円欲しい、から逆算して△△万円の資産を形成するという考え方をしています。重要なのは期待利回り率と月に欲しい資産収入。

一般的に意識される老後突入時の資産額ではなく、老後突入後のキャッシュフローを意識する感覚です。BSより老後のPLやCF重視する視点と言えるでしょうか。

もちろん、本多静六氏が生きた時代と今は大きく異なりますから「どこで何を使ってお金を育てるのか?」は現代風にアレンジする必要があります。そのアレンジした結果が、前回投稿で紹介した、(A)貯金+(B)投資信託+(C)高配当株という資産ポートフォリオというわけなのです。

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